<追記>下記を書いているうちに、何を書こうとしていたのか忘れて書いていた。実は、Go Toイートを利用して「ず~っと食事をタダで済ます方法」や「錬金術」などの記事を見ていて、こんなことに税金を使っていていいのか、と思ったことがきっかけ。結論は「ちょっと乱暴な方法ではあるが、まぁ、いいのではないか」。国民全員に一律に商品券を配るのと違って、利用できる人とできない人(地域的や問題やアプリの使い方などに未熟な人)が出てくるのは不公平だと思うが、それでもいいだろう。
やっていることは、結局、お金が余っている国民からお金を吸い上げて、国民にばらまいているということだ。お金の偏在という歪みを修正していることになる。形式的に政府の借金が増えるが、根ガネの再配分なので実質的には借金の増加にはならないだろう。



マネーの供給と政府債務
経済の基本は物(サービス)々交換。それを仲介するのがお金だ。
物やサービスを提供してお金を受け取り、そのお金で他の物やサービスを享受する。
しかし、問題がある。
(1) 物やサービスを提供しようにも買ってくれなかったら、お金は入ってこない。お金が入ってこなければ、他の物やサービスを買えない。つまり、他の物やサービスの需要もなくなる。需給のミスマッチが価格調整で対応できなければ、経済の拡大は難しくなる。
(2) お金が偏在すると、その所有者はお金を使いきれないので、需要は減る。

この数十年、急速に問題が大きくなっているのが(B)だ。お金配りおじさんのようにため込んだお金を配る人もいるが、それでもため込んでいる。

そういう冗談はさておき、お金の偏在は農地改革から始まるのだが、今は昔の話。今の問題の一つは、お金がごく一部の富裕層や老人に偏在していることだ。そのため込んだお金の大部分は銀行などに寝っぱなしで世の中に出てこないことである。このお金のことを根ガネという。根ガネは購買に使われることはない。その額が大きくなれば、経済は停滞する。

(注)根ガネ(根雪のようなオカネ)はお金の偏在でないところからも出るが、それは省略する。

根ガネを世の中に出すことが必要だが、そのお金を借りて投資や消費に回すことが解決策の一つだ。では誰が借りるか?インフレもなければ、雇用不安もあれば、借り手がない。結局、政府が借りて国民に提供することになる。にもかかわらず、片方で社会保険料や消費税増税しているのだから訳が分からない。

本題である。
根ガネを国債を発行して吸収する。その資金を市中へ社会給付金や特別定額給付金などに回す。根ガネは引き出されることがない、つまり、返済を求められることはない。要は「有る時払いの催促なし」の借金だ。これは限りなく「贈与」に近い。国の形式的な借金が増えても、実質的な借金は増えていないということだ。

結論は、富裕層へのお金の偏在自体は悪いことではない。稼ぐ人は稼いで、それなりに使ってくれればいい。使い切れない資金(根ガネ)はまわりまわって国が形式的な借金として吸い上げ、世の中へ回せばいい。それは実質国への贈与なので政府債務の拡大は問題ない(根ガネの拡大と政府債務の拡大は両建てになる)。問題があるとすれば、政府債務が根ガネ以外からの調達が大きくなる時だ。ギリシャのように国債を外国に買ってもらわなければならないという事態では、この議論はなりたたない。

私は、お金の偏在下ではベーシックインカムに賛成である。

ついでである。特別定額給付は失敗だったのか?
麻生財務相は多くは貯金に回り、景気浮揚効果は限定的だったとの認識を示した。
自説に拘って特別定額給付の意味が分かっていない。対象を絞るべきだったということは皆がわかっていた。当たり前のことだ。しかし、どういう区切りをするか、区切ったところで、給付金を配る作業は円滑にいくのか、そんなことをしていたら、数年かかるのではないか?ということで特別定額給付になったのである。
コロナパンデミックで世の中がおかしくなった。パニックを防ぐために、国民への資金供与とマスクなどの提供が必要だった。マスクは本当は、必要な時に通常の価格で買えるようにすることが必要だった。そうだろう。お米の配給じゃあるまいし、マスクを配ってもらうのではなく(そんなことではますますマスクの不足感を煽る)、いつものようにお店に行けば自由に買えることが必要だったのだ。アベノマスクは明らかに失敗だ。それでこそ国民は安心する。

そういう意味で、千代田区特別支援給付金には違和感がある。まぁ、地方自治体の話なので。取り過ぎた地方税を区民に返すということなら理解できるが、趣旨が「新型コロナウイルス感染症により暮らしに不安を抱える千代田区民の皆様を支援する」ということなら、新型コロナウイルスパンデミックで暮らしに不安を抱える人だけでいいだろう。もはや、スピードの問題ではないし、千代田区という狭い範囲の話である。全く理解に苦しむ。